アセローラ
 職場の建物が改築されたのは3、4年前のこと。旧い建物は道路から離れたところにあり、道路との境界には高さ3m近くのフェンスが立てられていた。フェンスは10cm角のワイヤメッシュでできており、道路に面した部分の長さは約8mあった。
 ある年、記憶は定かでないがおそらく10年以上も前、フェンスの角にアセローラの苗木が植えられた。成長の早いアセローラはぐんぐん伸び、どんどん枝を増やしていった。
 「何でこんな所に暴れ木のアセローラなんか植えるんだ。邪魔になるじゃないか。」と私が疑問視していた通り、3年後には高さ3mにまで伸び、たくさんの枝を四方八方に伸ばして、アセローラのある角は立入禁止のようになってしまっていた。それほど大きくなったアセローラだが、肝心の実は、ほんの申し訳程度にしか付けない。「なんじゃい!」と思って調べると、アセローラは、自然の状態では着果率が悪いようなのだ。
 「鬱陶しいなあ、実もつけないし、切り捨ててしまえば。」と言う私に、
 「せっかくここまで伸びたんだし、もったいないよ。うまく管理すれば実をたくさんつけてくれるよ。これからどんどん人気の出てくる実だし、社員で楽しもう。」と園芸に詳しく、マメな性格の同僚のTが言い、以後、彼がアセローラの面倒をみるようになった。
 Tは、道路に面した側のフェンスに伸びた枝だけを残し、その他上部、後方、手前に伸びた枝などは全て切り取った。そのお陰で角がすっきりし、立入禁止は解除となった。Tはまた、残した枝を整理しつつ、1本1本をメッシュに誘引し、絡ませた。年に数回そういったことを繰り返し、そして、数年後にはアセローラの枝葉が、道路に面した側のフェンスの、多くの面を覆い、その枝先にたくさんの実をつけるようになった。
 梅雨が明けた頃(沖縄では6月下旬)からアセローラは実を着け始め、少しずつ収穫できる。夏にはたくさんの実ができ、社員の楽しみとなった。私も十数個を口にすることができた。だが、そうできたのもたった2年間であった。職場の建物が改築され、建物の邪魔になるアセローラはばっさりと上部を切り取られ、移植された。移植後のアセローラは今、職場の庭にある。いたって元気なのではあるが、実着きが悪くなってしまっている。アセローラの世話をしていたTも退職したので、もう面倒を見る人もいない。自然の状態で実が成るのを待っている私は以来、まだ1個のアセローラも口にしていない。

 『沖縄園芸植物大図鑑』には、アセローラはバルバドスザクラという名前で記載されている。沖縄でアセローラの本格的栽培が始まったのは1982年、『沖縄園芸植物大図鑑』は1980年の発行、図鑑を編集している頃はまだ、アセローラという名は一般的で無かったのかもしれない。1979年発行の『沖縄植物野外活用図鑑』にはバルバドスチェリーとあり、「アセローラという名称で市販されています。」と記述されている。バルバドスチェリーは英語名のBarbados cherryからきている。バルバドスはカリブ海に浮かぶ小さな島国。産地が英語名となった。アセローラはacerolaと書き、スペイン語。

 アセローラ:果樹・添景
 キントラノオ科の常緑低木。原産分布は西インド諸島。方言名:アセローラー
 ビタミンCの含有量がレモンの30倍もあるというのは有名。熟した果実は2、3日で傷むので、産地はともかく、那覇のスーパーなどで生の果実にはお目にかかれない。
 収穫期は3月から11月と長期間に渡るが、夏に収穫量が多い。年に4〜6回程度収穫できるとある。自然の状態では着果率が悪く、職場のアセローラも、花はよく咲くが果実はなかなか見ない。栽培農家では着果技術もしっかりしているのだろう。産地としては沖縄本島北部の本部町が有名。本部町はタンカンやパイナップルの産地でもある。
 庭木としても利用される。成長が早く分枝が多いので、放っておくとうるさくなるが、適宜剪定して形を整えてやれば良い添景になり、生垣としても利用できる。
 初収穫の時期にあたることから5月12日はアセロ−ラの日となっている。

 実
 記:島乃ガジ丸 2005.3.27  ガジ丸ホーム 沖縄の草木
 参考文献
 『新緑化樹木のしおり』(社)沖縄県造園建設業協会編著、同協会発行
 『沖縄の都市緑化植物図鑑』(財)海洋博覧会記念公園管理財団編集、同財団発行
 『沖縄園芸百科』株式会社新報出版企画・編集・発行
 『沖縄植物野外活用図鑑』池原直樹著、新星図書出版発行
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
 『沖縄園芸植物大図鑑』白井祥平著、沖縄教育出版(株)発行
 『親子で見る身近な植物図鑑』いじゅの会著、(株)沖縄出版発行
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