ソテツ
 大昔、侵略されたウチナーンチュではあるが、侵略した鹿児島人を、そのことが理由で嫌っている人はまずいるまい。薩摩にとって琉球侵略は歴史の必然であったのかもしれないし、侵略後もたぶん、薩摩の役人は、そうひどいことはウチナーンチュに対してやらなかったのだろうと思われる。薩摩役人の悪行は、あまり伝わっていない。
 琉球を支配下に置くことによって薩摩藩の財政は潤い(その分、琉球はたいそう貧乏だったぜ)、そして、その金は明治維新の際の大きな力となった。明治維新は、だから、ウチナーンチュのお陰も多分にあったのだ、と私は思う。
 その明治維新に貢献した幕末の英傑たちの中で、私が興味を持ち、こいつぁー偉いと思っている人は、坂本竜馬、大久保利通、勝海舟などいるが、子供の頃、最も好きな人は西郷隆盛であった。テレビドラマや本で、西郷隆盛は義理人情に厚い、男気のある大人物として描かれていたからだ。最後が悲劇に終わるところがまた、子供心の同情を誘った。
 その西郷、一時期、奄美大島に流される。そこで、愛人を設ける。義理人情に厚い、男気のある西郷なので、それはごく自然のなりゆきだったにちがいない。愛人の名は加那。

 さて、その加那のことを唄ったのではないかと思われる歌謡曲がある。古い歌だが、沖縄の歌(奄美の人は迷惑かもしれないが、ウチナーンチュは奄美も沖縄のうちだと思っている。)としてたびたび紹介されるので、私も少し知っている。
 赤い蘇鉄の 実も熟れる頃
と始まる「島育ち」という歌、続く歌詞はおぼろげでよく覚えていないが、最後は、
 加那も年頃 加那も年頃 大島育ち
で終わる。カナの出てくる歌謡曲がもう一つある。これも古い歌で、「島のブルース」
 奄美懐かしゃ 蘇鉄の陰で
 (ちゃんと覚えていないので、中略)
 長い黒髪 島娘 島娘よ

 両方の唄にあるソテツ、それはまた、奄美の画人、田中一村の作品にも印象深く描かれている。そのお陰で、ソテツというと奄美を思い出してしまうのだが、ウチナーンチュにとってもソテツは身近な植物である。庭木としても好まれて、子供の頃、近所にも多くあった。ソテツの葉は先が鋭くチクチク射す。チクチクを我慢して虫篭作りなどもした。
 ソテツの実および茎には大量の澱粉が含まれているので、琉球王朝時代から救荒食物として扱われ、王府はソテツの植え付けを奨励し、飢饉に備えさせたとのこと。しかしソテツの実や茎には有毒成分サイカシンが含まれており、十分に除毒操作をしなければ中毒を起こし、死に至ることもある。世界大恐慌の頃、ウチナーンチュは他に食い物が無くてソテツを食った。これを指してソテツ地獄という言葉が残っている。→「生きるために

 ソテツ(蘇鉄):庭木・公園
 ソテツ科の常緑中木 原産分布は九州南部、琉球列島 方言名:スーティチ
 各地の海岸や原野などに自生し、石灰岩地帯を特に好む。山野の暗い木陰の下でも生育するが、元来陽光地を好きで、陽光のよく当る場所では、葉の色も鮮やかに照り輝く。潮風に強いので、海岸近くの景観樹木としてよく使われる。
 成長は遅いが、長い年月をかけて大株になったソテツは、それだけでその庭の空気を作ることができるほど存在感がある。久米島宇根の大ソテツが有名。
 ソテツは食料となるだけでなく、その葉は効果の大きい緑肥としても使われる。

 実
 記:2005.2.7 島乃ガジ丸  ガジ丸ホーム 沖縄の草木
 参考文献
 『新緑化樹木のしおり』(社)沖縄県造園建設業協会編著、同協会発行
 『沖縄の都市緑化植物図鑑』(財)海洋博覧会記念公園管理財団編集、同財団発行
 『沖縄園芸百科』株式会社新報出版企画・編集・発行
 『沖縄植物野外活用図鑑』池原直樹著、新星図書出版発行
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
 『沖縄園芸植物大図鑑』白井祥平著、沖縄教育出版(株)発行
 『親子で見る身近な植物図鑑』いじゅの会著、(株)沖縄出版発行
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